平城京是日本奈良時代(公元710年-784年)的首都,從710年自藤原京遷至平城京,到784年遷都至長岡京,一直是日本的政治中心。 平城京的建設是日本通過遣唐使廣泛吸收中國等東亞各國文化的成果。奈良時代,日本在各領域都取得了巨大發展。遣唐使的派遣,使日本人獲得了直接接觸唐文化的機會,包括諸多書籍在內的唐文化成果被帶入日本。在此過程中,多次有遣唐使乘坐船只遇難;正是這些冒著危險,為了日本竭盡全力的人們,使日本在各個領域獲得了發展。平城京是7代天皇的國都,在此時期創造了“天平時代文化”。同時,從絲綢之路及中國傳來的多種文化與日本古代文化相融合,形成了日本文化與精神的基礎。奈良時代是日本全面吸收唐代文化和制度的時代,平城京模仿唐朝首都長安建造,是長安城的縮小翻版。與長安一樣,平城京呈棋盤狀,皇宮正門也稱朱雀門;以朱雀門前的朱雀大街為中軸線,平城京分為右京和左京;也和長安一樣,設有西市和東市。不過,由于日本是島國,不擔心外族入侵,所以平城京未建城墻。2010年,為迎接平城遷都1300周年,奈良縣開展了一系列的紀念活動,祝賀日本的傳統文化能夠保存至今,并向國內外傳達希望繼承其價值到未來的心愿。
【(1)平城宮跡(へいじょうきゅうせき) 大極殿(だいごくでん)】 天皇の即位や元日朝賀などの國家儀式、あるいは外國使節との接見の儀式が行われた施設。2010年の平城遷都1300年記念に合わせて復原工事が進められている。
【(2)春日大社(かすがたいしゃ) 中門(ちゅうもん)(重要文化財)】 式內社(名神大社)、二十二社の一社で、舊社格は官幣大社。 全國にある春日神社の総本社。中門は入母屋造、檜皮葺、一間一戸の樓門で、この奧に國寶の御本殿がある。
【(3)東大寺(とうだいじ) 誕生釈迦仏立像(たんじょうしゃかぶつりゅうぞう)(國寶)】 釈迦は、摩耶夫人の右脇下から生まれると直ちに七歩あゆんで天と地を指し、「天上天下唯我獨尊」と唱え、九龍が香水を灌いで祝福したという。この故事にのっとり4月8日の仏生會は、本像に水をかけて仏誕を祝った。
【(4)西大寺(さいだいじ) 愛染明王坐像(あいぜんみょうおうざぞう)(重要文化財)】 寶冶元年(1247年)。愛染明王信仰はその名のとおり「戀愛?縁結び?家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物?織物職人の守護神としても信仰されている。
【(5)興福寺(こうふくじ) 天燈鬼像(てんとうきぞう)(國寶)】 鎌倉時代再興期の西金堂須彌壇に安置されていた像で、四天王像に踏みつけられる邪鬼を獨立させ、仏前を照らす役目を與えていた。
【(6)元興寺(がんこうじ) 薬師如來立像(やくしにょらいりゅうぞう)(國寶)】 平安前期。無明の病を直す法薬を與える醫薬の仏として、如來には珍しく現世利益信仰を集める。
【(7)唐招提寺(とうしょうだいじ) 千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)(國寶)】 奈良時代(8世紀後半)。最大の特徴ともいえる腕は、大脇手42本、小脇手911本、合わせて953本の腕は本來は1,000本あったと考えられ、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
【(8)薬師寺(やくしじ) 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(國寶)】 飛鳥時代(白鳳期)または奈良時代(7?8世紀)。金堂本尊薬師如來の左(向かって右側)に立つ像で、右(向かって左)の月光菩薩とともに本尊の両脇に立ち薬師三尊像として、昭和51年に復興された金堂に祀られている。
【(9)大安寺(だいあんじ) 多聞天像(たもんてんぞう)(重要文化財)】 持國天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に數えられる武神。日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、獨尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例。
【(10)新薬師寺(しんやくしじ) 伐折羅大將像(ばさらたいしょうぞう)(國寶)】 十二神將(じゅうにしんしょう)の一つ。十二夜叉大將、十二神明王(じゅうに?やしゃたいしょう、しんみょうおう)ともいい、仏教の信仰?造像の対象である天部の神々で、また護法善神である。また十二の方角を守っていることから、干支(十二支)の守護神としても信仰されている。
【背景 興福寺(こうふくじ) 阿修羅像(あしゅらぞう)(國寶)】 奈良時代。古代インド語で、「asu」が「命」、「ra」が「與える」という意味で善神だったとされるが、「a」が否定の接頭語となり、「sura」が「天」を意味することから、非天、非類などと訳され全く性格の異なる神とされる。 興福寺寶物殿の解説では、「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記している。
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